【ガラス窓と網戸】
「旭硝子(現:AGC)」によって、国産の硝子が生産されたのは明治42年のことで、大正に入ってから「機械吹き法(ラバース法)」などの生産法が広く普及しました。
これにより、大量生産が可能となり、硝子を使った窓は急速に普及していきます。
ではこの頃から網戸が出てきたのか?と、言うとそうでもありません。
まだこの時点では、窓のメーカーや網戸のメーカーというものの存在はしていませんでした。
では、誰が窓を製造していた?のかと言うと。
当時、窓を作っていたのは大工さんから分業していった建具屋さんだったのです。
諸説ありますが、建具屋さんが虫の侵入を防ぐ目的で、蚊帳の素材や金網を使い、窓ガラスの代わりに窓に「はめ込む網戸」を作ったのではないかと考えられています。
しかし、はめ込み式網戸はごく少数の事であり、多くは、窓の全面を覆い隠すように蚊帳の素材を張っていたようです。
このような状態は日本が戦後から立ち直る昭和30年代中頃まで続きました。
木製サッシの網戸の登場もありましたが、明確な規格がなかった事が網戸があまり普及しなかった要因でもあり、当時の情報が少ない要因でもあります。
<引用>
積水グループHP